「式内社」とは平安時代に行われた調査で『歴史が古くてとにかくスゴイ神社』、と認定され記録された神社である。
ちなみにその平安時代からして今から1000年前なのでこの神社が如何に長い歴史を誇るかがわかる。
むかしむかし極東のある島国に太陽の神と月の神、その他多くの神々にお仕えする大神官がいました。
その大神官の名前を天皇(てんのう)と言います。
その天皇を中心とした太陽の国は人々に色々な職業を割り当てる事で大きく豊かになってゆきます。
馬を飼う人、牛を飼う人、鶏を飼う人、薬屋さん、道路をつくる人、家を建てる人、野菜を作る人、ご飯を作る人、魚や動物を狩る人、悪い人をやっつけて平和をまもる将軍。それぞれの職業を管理する人、驚くほど多くの職業があり、すべて公務員さんでした。
今から約1300年前の奈良と呼ばれた時代に電車や自動車はありません。
水に浮かぶ船が最も速い移動手段で川でも海でも沢山の船が行き交っていましたがーーー
静岡県浜松市の遠州灘と呼ばれる海は荒れており、船に乗った多くの人々が事故で命を落としていました。
事態を重く観た天皇は、腹心であった藤原不比等(ふじわらのふひと)に命じます。
西の船の都 “摂津国” から住吉三神という航海の神様たちをお連れして遠州灘の海岸に神社をつくり行き交う船を護らせなさい!
藤原不比等は今で言う総理大臣のような人でした。彼は早速、大工や神官などを引き連れ養老717年から719年にこの津毛利神社を完成させました。
主祭神は天狗👺の格好をしたソコツツオ(底筒男命)、ナカツツオ(中筒男命)、ウワツツオ(上筒之男命)の三兄弟で、航海の目印となったオリオン座の3つの星を表しています。
因みにギサの3連ピラミッドも同じ星座を表しており、船乗りの考える事はどこでも同じであることがうかがえます。
さて創建から時がたち、天竜川の洪水で流されてきた土砂が積もって砂浜が広くなるにつれて開拓が進み漁村が沢山できました。
西は浜名湖河口の舞阪村から、東は天竜川河口東岸にある掛塚村までの46の村が出来上がり、その総鎮守として津毛利神社は「四十六所大明神」の二つ名を得ました。
ここから解るのは、恐らく古代ではここが遠州に置けるメインの港であったであろうこと。
また天竜川河口には特産品が集まっていた事情から年貢を回収したり、勅使(天皇の使者)を降ろすための港としてエラい人たち(朝廷)が利用していたんだね~ということですね。
実際、ここからうんと北東にある森町というところには大昔、奈良や京都からやってきた知識人や技術者がかたまって生活し学園都市みたいになってた時期がありますからね。
江戸時代には80石の神領(神社の土地)を持っていたってパンフレットに書いてありますね。
一坪が3mとして計算したら72平方キロメートルになって浜松市と湖西市全域合わせてもまだ足りないってちょっとどうなんだろうと思いますが、森町にある小国神社の神領が西は磐田市、東は掛川市全域みたいなぶっ飛んだ例もありますので本当の話でしょうね。
要するに神様のお膝元の土地だから世俗の権力者がそこへ来ても好き勝手やっちゃだめですよ? っていう謎の安全地帯ですかね。
明治時代になると教育制度が制定されて神社境内の施設で学校が開かれたそうですね。パンフレットには子弟教育の発祥の地、と書かれておりますがおそらく小学校のことだと思いますね。
さらに時が経ったいまは小学校どころか中学校や高校、各専門学校なんかも充実し、果ては自動車学校まである大都会になってますねえ。
でまあ、そうなってくると村々の神社が都市開発の為に立ち退きせざるを得なくなるんですね。
可哀想に土地の守り神として人々と共に家族同然に生きてきた彼らは土地から追い出されて、いまは総鎮守の境内に造られた集合住宅で元気に生きています。
ここからは、境内社のご紹介を致します。
アパートのような祠に村中の神社出身の神さまが暮らしています。
一人一人ご紹介しますね。
因みに神さまの場合、人では無いのでこの場合、一人では無く“一柱”といいます。
〘境内摂末社〙境内にある摂社(せっしゃ)というのは、主祭神の家族や友人知人といった縁の深い神さまか、その神社が建てられる以前からその土地にまつられていた地主神を祀る祠。末社というのは別の土地にあったけど災害や開発でそこに居られなくなり転居してきた難民みたいな神社。
【那須神社】例祭は7月24〜25日。
神さまはスサノオ(素戔嗚命)で、長い旅をしていたが村の娘を生贄として喰らっている9つの頭を持つ龍を討伐したことで英雄となった。ギリシャ神話やシュメール神話にも登場。
【息太夫神社】
風神シナツヒコ(志那津彦命)ですが、彼はツクヨミやオオクニ、大黒天マハカーラ、果ては息子と称してオオヤマヅミを名乗ったり、複数のアカウントを使い分けている。
【金山宮社】……気難しい一つ目小僧ことカナヤマヒコ(金山彦命)は日本に金属文化が入って以降、鉄鋼業の守り神として働き詰めです。お体大切に。
【八幡宮社】古代…朝鮮半島に戦争しにいった女王がいました。その王子がホムダワケ(誉田別命)殿下です。高貴な方ゆえ人前に姿を現さないのですが目撃証言によれば頭に角を生やし、背ビレがあり尻尾まであったとのことで天皇に就任してからはオージン(応神)を名乗っています。
【日吉社】こちらはオオヤマグイ(大山咋命)さんのお宅ですがたぶんインターホンがあるだけですね。
彼の身体は山そのものなのでこんな小さなアパートには住めないんですねえ。
独立した棟もあります。どんな神さまがいるのでしょうか?
【伊雑宮社】オオトシノカミ(大歳之神)は天竜川上流に位置する大歳神社という総本社の祭神でもある。
大晦日に門松を立てて置くとお正月の間だけ家にいてくれるお正月の神さま。
(相殿)
【東照宮】
……鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、で有名なイエヤス(徳川家康公)が神さま。今川家に見切りをつけてノブナガと同盟し最終的に征夷大将軍まで登り詰めた。
〘末摂社殿〙 たぶん4連祠の片方。
【天神社】スガワラミチザネ(菅原道真)
文化人で農民想いな優しい政治家だったけど貴族たちの悪巧みに巻き込まれ命を落とし、今は雷の神さま。
死ぬ直前、当時学園都市だった森町に部下を移住させている。
【愛宕社】
飯綱神社や戸隠神社同様、いわゆる忍者が好きな神社。カグツチ(迦具槌命)は火の神さま。
【水之御前社】
女神のオシッコから産まれたミヅハノメ(水速女命)は川の近くなら大体いる水の女神さま。
【広田神社】
ヒルコ(蛭子)、プロポーズを女性がやった結果産まれたとされる奇形児の海神。エビスとも読むがその場合はエブス人であり固有名詞ではない。
(相殿) アイドノというのは一つの祠の中に神さまが同居している状態のこと。
【伊勢大神宮社】
広田神社の相殿として入ってる神社で神さまの名前はアマテラス(天照大神)。世界的には珍しい太陽の女神にして明治維新後は事実上最高神の立場。
【隋神門】
隋神門は狛犬と同じように神社の入口付近に陣取って、悪魔の侵入を警戒する神さまが常駐している。トヨイワマド(豊磐間戸神)とクシイワマド(櫛磐間戸神)という弓や剣で武装した神像が座っているのが一般的。
なお、ここから北東方向に境外摂末社という関連の神社が存在する。
津毛利神社の例大祭は10月の第二土曜日ですが、全国的に有名な祭りはむしろ5月2日の凧揚げ安全以降、ゴールデンウィーク中に海岸の砂浜で開催される凧揚げバトル大会であろう。