🎃ヨモツンヘイムの路地裏で・・・щ

沸き上がる愚考と妄執、怨念、劣情にまみれた悪霊達が綴る邪悪でホラーなブログです。👻心のキレイな方も歓迎致します。ただしあなたの魂は徐々に汚れて行きますので自己責任(良い言葉だなあ😈)で御覧下さいヒヒヒヒ・・・・・ヾ(゚д゚)ノ

フェミニストが有益な理由

 フェミニストがいた方が便利な理由を説明します。

 例えば、過去に起きた複雑な問題を扱う際に、冒頭でフェミニズムの問題に言及するとこうなる



 ワイ「日本は歴史的に観ても欧米や中国と違い女性を対等に扱って来ました。それが証拠に史料のどこを観ても女性が抑圧されているというデータが出てきません」
 フェミ「そんなことない❗ 女性が搾取されてきた痕跡は至るところにあります❗」
 ワイ「では?そのエビデンスのデータを見せてください。具体的な数字で。西暦何年から何年の何月何日どんな層の女性達が搾取されていたのかをお答えください。近代以前のデータで。さあ、さあ❗」フェミ「でも、医学部の不正が…」ワイ「私は過去の歴史の話をしているのです。エビデンス出せませんか? ちなみに男性が女性から搾取されていたデータなら幾らでも出せます。例えば徴兵での死亡者数、客船が沈んだ時、女性を助ける為に殺された男達の数」
 「じゃ、じゃあ従軍慰安婦問題が…」「あれは朝日新聞社のフェイクニュースだって書いた記者本人が認めてただろ? そもそも日本人女性ですら無い❗ はい時間切れwwwww残念でしたー」
フェミ「ぎゃ、ぎゃばばばばば、きいーーーーー!」

 …と言ったところで今回はフェミ女と私が実はグルで、なんなら日本人女性は古代に朝鮮半島から誘拐されてきた可哀想な奴隷の子孫という前提です。

 こういうやりとりは例えば、過去に起こった疫病の話などでしばしば出てくる水掛け論ですね。
 エビデンスの奴隷、エビデンス気違い。
 ソース出せ虫。
 そういった人達はろくに数字を読む力も無いクセに数字を求めて来るから矛盾してるんですよ。
 例えば天然痘なんて古代は無かったか少なかったんですよ。エビデンスが残っていませんから。
 どういうことかと言うと、その時代に天然痘なんて名前はおろか、それがどういった病気なのか誰も知らなかったし調査も記録もしてなかったから。例えミイラの一部にアバタがあろうと“神のいかりに触れた者”という名前をつけられ迫害されている人々が大量に居たとしても、
「天然痘に感染した患者数」としては0カウントなんですね。だってミイラにされる王族なんて何千人に一人な訳ですよ。で、その何千人に一人をかき集めた集団の中でのたった1、2体なんて無視して良いぐらい低い数字ですからね。
 エビデンスにする訳にはいきませんよね?

 では、エビデンスが無いから古代に天然痘が流行って居なかったかというと…そうではありませんね。エビデンスなんてのは現実世界のほんの一部を切り取ったモノに過ぎず、それを持って「過去にパンデミックは起きていない❗」
とはならないんです。この辺をソース虫とエビデンスの奴隷君は理解していない。

 天然痘は1663年アメリカインディアンの間でおよそ4万人に大流行し、それ以降1700年代からは徐々に具体的な数字が記録されるようになります。エビデンスの誕生ですね?
 エビデンスが産まれる背景には
 1、みんなが問題意識を持つ
 2、定義を定めて調査が始まる。

 の2つが必要になります。1、だけあったのが中世までで、患者さんは差別やリンチの対象でした。
2、まで出てきたのが専門家が現れた近代で、いよいよ病魔と戦う準備をしているところですね。

 このように定義を定めて専門家が対策を講じてから初めてデータというのが記録されるわけですね。

 例えば「最近は児童虐待が増えている。昔は児童虐待なんて無かったのに」

 なんてのも同じロジックで、日本で児童虐待がようやく問題視され始めたのは2001年ごろですが、その当時はまだ研究機関もなければ調査機関も存在しなかった状態でしたし、何より
何を持って児童虐待とするか? の定義が曖昧でした。(まだ体罰が当然の社会)
 当時のテレビなんかでも自称その道の専門家やコメンテーターが虐待された児童を謎の理論をこねくりまわしては好き放題ぶっ叩いていたのが印象的。
「親を悪くいう子供(虐待をチクる子)には体罰が必要」
 当時の小中学校でさえそれが当たり前の認識でした。
 
 2005年ぐらいになってようやく
「良く解らないけど、親から虐待された人たち可哀想❗助けになってあげたい」という論調が広まり、テレビでは自称その道の専門家とコメンテーターが手のひらを返して
「では、児童虐待の定義ですが、子供が虐待だと主張したら全部虐待!✌️」 等と雑なことを言い出し、児童相談所が権利を主張しだす。その結果、世の中では窃盗犯や痴 漢、底辺DQN、メンヘラ等が口を合わせて「ミートゥー。僕たち児童虐待をされたんです、過去のトラウマなんですう」と言い出して、周りに迷惑をかけた免罪符にしたり、裁判で無罪を勝ち取る為の方便に使用したため、虐待被害者に対する世間からの評価は地に落ちた。
 2010年辺りからようやく国や専門家が対策にのりだし少ない人数で、たどたどしく調査を開始する。
 つまり、日本に置ける児童虐待件数データの記録はそこから始まっており、エビデンスとされている。だから当時を生きて居なかったソース虫やエビデンスの奴隷君は数字やマスゴミのウソ(←後ろめたい過去がある)発表だけ見てこんなことを言う
「2010年までは児童虐待が少なく、2000年以前は日本人の絆があったので児童虐待なんか無かった❗ 2015年辺りから児童虐待が急増している」と。

 現実はどうかというと…そう。昔は手足が定期的に骨折してる子供や顔にアザがある子供、壁に向かってぶつぶつ喋っている子供や、コミュニケーション能力が今の「コミュ障」とは違う意味でざらにいた。
 それが児童虐待を取り締まり保護するようになってからはそんな子供がみるみる減って行き、
新入社員のカタワ率が何処の底辺企業でも0に近くなった。かくいう私も犠牲者だったが昔は助けを求める場所はおろか、虐待されていることがバレたらイジメの対象にされるのが世の習わしだった。

 現実には児童虐待率は下がっている可能性が高い。にも関わらず昔は社会が児童虐待を問題視していなかったし当然、問題意識をもって調査する専門家も存在しなかったから
エビデンスが残っていないのだ。


 ここまで読んでいただいた方ならもうお気づきでしょう。

 冒頭のフェミニズム問題もデータやエビデンスが存在しないことを根拠にフェミ女を論破していました。
 ですがそのデータやエビデンスというのは

 ・人々が問題意識を持ち
 ・専門家が定義を決めて調査

 という過程を踏まないと記録されないんですね。

 歴史においてデータやエビデンスというのは
あんまり現実を反映していないことです。

 つまり、ここでの私はフェミニズム派であり、日本人女性は古代に奴隷として強制連行されてきたという前提ですから嘘でもこう書きます。

 女性に対する人権侵害が日常的に起きている時期における被害者数のデータやエビデンスが無いのは当たり前。問題を解決するために国が専門家を動員するからデータが残るのであって、過去の数字というのは結局、その時代の専門家や政府がどう動いたのか? ぐらいしかわからんものなのよ。

 

 …ということを説明するのにフェミニズムは便利だな、というお話でした。