4歳ぐらいの子が公園に走って行く。「そっちじゃないこっち!」血相を変えた母親が後を追いかけ捕まえる。
別行動をとっていた父親が交差路の向こう側にいる。「今日は公園で遊ぶ日じゃ無いでしょ❗ パパはあっち!」子供を引っ張る母親。
その場にしゃがみこんで泣きわめく男の子。
一見、思い通りにさせてくれない母親を非難しているように見えなくもないが泣き声の調子を分析してみると次のような言語に聞こえる。
彼はこう言っている。
「そんなの俺だって分かってるよお❗でも沸き上がるこのソウル、このオレにもどうしていいのかわからねーんだよお❗(≧Д≦)」
つまり理性では父の方へ行かねばならないのは重々分かっているのに感情の奔流に溺れてしまう自分自身にキレているっぽいのだ。
幼少期の動物は教習中の戦闘機パイロットのようなものでトラブルが起きると自分で対処出来なくなってしまう事があるのだ。
“感情”というのは肉体と魂の間にあるインターフェースのようなもので、初めのころは調整が済んでおらず、例えばこのようにナビゲーションシステムがエラーを起こすことが多々あるのだ。
彼は今、パニックになりながら教官を呼んでいる。
「教官殿! 行きたい方向に行けませーん❗」
父親は子を抱き上げゆさゆさしながら歩き「おいおい、今日は公園で遊ばない日だぞ🎵 」と何度か優しく呼び掛ける。
子供のほうは「うんうんうん。」といって泣き止んだ。
感情というインターフェースを調整する作業として正解なのだろう。野原ひろしタイプの父親だったことが幸いしたか。
因みにもしも俺がこの子の母親なら責任感に潰されて完全に怒鳴りちらして「てめえ、こっちだっていってんだろオラ! 俺の目を見ろ❗いいからこっち見ろ❗」などと間違った対応で事態を悪化させていたかもしれない。
それは教習中のパイロットに「お前はもう自分で考えるな、機体から降りろ向いてねーよクビだゴミ」と言っているに等しいやり方だからだ。そうなれば父親のフォローも虚しく我が子は「品行方正なよいこ」になっていたかも知れない
つまり、この母親もなかなか落ち着いている。
魂=パイロット 肉体=戦闘機 感情=荒削りなインターフェース
とするならば機体性能を引き出せずにいるのが子供であると言える。
教官としてやっては行けないことは一つ。
先走って潰さないこと。理屈で考えないこと、育児本や世間に惑わされないこと。
パイロットを信じること。
これがなかなか難しいがな。
例えば母親なんてのは性質上、自分が一番に愛されたいのにそれを二の次三の次にした上で子育ての責任者に位置付けられている。
なので「早く成果を出さなきゃ❗」
などと目の前の短絡的な成果主義に走ってしまいがち。
少なくとも昭和~平成初期産まれの日本人が学校でそのように繰り返し叩き込まれて来たのは紛れもない事実なので余計である。
ヘル売新聞 (夕刊)