昔は学校でもテレビでも新聞でもプロ市民団体でもどこでも
良いことをした人には良いことが起こり、
悪いことをした人には悪いことが起こる。
親を悪く言う人は人生の未熟者で
親から死ぬほど折檻されるような子供は元々欠点があったのだ。
子を愛さない親はいない。
そういう事を繰り返し教育していた。
教育評論家でさえ大半が
集団と同じことが出来ない子、イジメられっこは甘やかされて育っているから徹底的に厳しくしつけるべきだ。
虐待やイジメ自殺のニュースの度に番組でそのように啓蒙していた。
それが今やどうだろう?
どいつもこいつもSNSに忖度したことしか言わない。
やれ「体罰は禁止だ、虐待親は捕まえろ、イジメ加害者を吊るし上げろ❗」「共産主義は野蛮、シナチョンは出てけ」
日本はいつからこんな野蛮な社会になったのだろう? 昔はちゃんとしていた。
マスコミも教育学者も市民団体もみんなみんな反戦運動していたしウヨクに憧れる奴なんて一人も居なかったし、「弱者の味方」で「悪い奴」には鉄槌を下していた。
イジメられるような社会のゴミは連日連夜テレビや新聞の「専門家」が批判していたし、後日イジメられっこを出してしまった家庭向けのアドバイスなども放送していた。
「社会に馴染むようにしつけないと将来犯罪者になりますよ?」と。
昔は素晴らしかった。
インターネットが世の中を無茶苦茶にした。
インターネットが産み出した魔物。
それが今の世を蝕んでいる。
こんな事をいってしまうと昭和ジジイ! と怒られてしまうかも知れない。
だが昔は本当にキチンとしていた。
例えばクラスでレ〇プやイジメがあった場合にはホームルームが開かれ、どうして被害者の子はイジメられてしまったのか? 被害者の子がどのようにすればクラスに馴染めるのか?
それを真剣に話し合い、最後は被害者の子が加害者の子と仲直りする、それが美しい形式だった。
一部の右翼団体が支配する学校を除いて。
つまり、これを知らない地域出身と言うことはアベの・・・・おっと話が逸れた。
ゆとり教育が始まりその世代がインターネットネットをやるようになり、更にその下の世代がSNSを開始すると社会は一気に変質してしまった。
何でもかんでも、ルールで縛るようになったのだ。
警察主義というか、「犯罪者には情状酌量の余地無し主義」というか・・・・。
少なくともSNSが普及する前の報道では、一方的に加害者を叩く報道は今よりずっと少なかったし
寧ろ、被害者の行動について色々な専門家が言及していた。
専門家「そもそも、コンクリ詰めにされた女性は何ゆえそのような時間帯に出歩いていたのか?」
その道の専門家「加害者と付き合ってたんじゃないですかね?」
教育系専門家「いやいや複数の男性とホテルの一室で成功位をしていたぐらいですから相当、乱れた交遊関係ですよ?」
心理学者「もしかしたら女性は露出度の高い服装をしていたかも知れない」
フェミニスト「最近の女性は女の地位を貶めていて、つつしんで欲しい」
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ネットが普及する前のイジメ、レイプ、虐待報道は、このように討論番組の形をとることが多く、被害者側に世論が傾き過ぎないようにバランスをとる工夫が成されているばかりか、これから犯罪に巻き込まれない為にどのように行動すればよいのか?
といった専門家の意見を交えつつ司会者がまとめる形式が主流であった。
だからじゃないがテレビにはいつも「専門家」や「市民団体」「教育団体」の代表者の席があった。
SNSが普及するまで「やらせ」なんか無かった。
ところが最近はSNSから叩かれたり動画を残されたりするようになってしまい、個人特定によるオタクからのテロを恐れて自粛状態にある。
これはすなわちファシズムである❗
と昭和生まれのウヨク嫌いは昔を振り返りながら思うのである。
みょるみる速報
あー、昔のミノさんやオグラさんは輝いていたなー👿